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- 国府 - Wikipedia
奈良時代から平安時代前半の国府は、区画と 正殿 ・脇殿等で構成される国庁(政庁)の存在が他の施設にはない特徴で、これが国府の中心施設であった。 したがって、国庁を発見した時点で国府位置確定とみなされている。 発掘が始まった当初、国府は 平城京 や 平安京 のような中央の都城の縮小版と考えられていた。 方形の外郭線を持つ都市が国府で、その中心に国衙という役所群、更にその要に国庁があるという三重構造が想定された。 発掘が進むと、国府に明確な外郭線が存在しないこと、都市域は付け足し程度で官衙域を包み込むほどの広がりを持たないことなどが判明した。
- 国府 - Japanese Wiki Corpus
国府(こくふ)は、日本の奈良時代から平安時代に、令制国の国司が政務を執る施設が置かれた場所や都市を指す。 国衙ともいう。 律令制において、国司が政務を執った施設を国庁といい、国庁の周囲は塀などによって方形に区画されていた。 令制国、郡、城柵で政務の中心となる建物をまとめて政庁というので、国庁もしばしば政庁と呼ばれる。 国庁とその周りの役所群、都市域を総称して国衙(こくが)、国府という。 現在は役所群のほうを国衙、都市のほうを国府と分けて用いることもある。 しかし同時代的には置換可能な語であった。 歴史的には国府の方が先行し、8世紀にはもっぱら国府という言葉が用いられ、平安時代後期以降に国衙が一般的になった。 各国の差が小さいのは中心となる国庁であった。
- 第4節 各地の国府からみた備後国府の検討 で7
国府の諸施設は, 国内行政の中枢施設である国庁, � 政実務を分掌する曹司,国司が宿泊する国司館, 傭丁らの居所, 民家などから構成される。 このうち,国庁とその� 辺の曹司群とを国衙とよぶ。 国府は交通の要所に置かれ, 近辺には国分寺と国分尼寺のほか郡衙( 郡家)や 駅 ,軍団を配置することもあった。 国府は国内の政治や経済, 文化, 交通の中心として,政治的地� 都市の様相を呈していた( 文化庁2013 - 140 頁)。 こうした国府の諸施設について,各地の国府跡で実態が発掘調査によって明らかにされている。 備後国府については,これまでの発掘調査で広範囲にわたって確認された建物や溝などの遺構群が, 国府に関わる施設とすれば, どのよ
- 国府
国府 の中心には 国衙(こくが)とその役所(行政、農業、財政、警察、軍事、裁判)および国庁 (こくちょう) と呼ばれる国司の公式の建物群がありました。
- 国衙 (コクガ)とは? 意味や使い方 - コトバンク
「国府[こくふ]」という言葉もありますが、「国府」はいろいろな施設を含めた広い範囲を指し、「国衙」は役所建物そのものを指します。
- 国府とは? 意味をやさしく解説 - サードペディア百科事典
国府は奈良時代から平安時代にかけての日本の政治的中心地であり、特に国司が政務を行うための重要な施設です。
- 国府の設置 - ADEAC
大化二年、改新の詔に始まる中央集権国家が形成されるなかで、地方政治については国・郡 (評)・里という行政組織が作られ、全国六六国二島それぞれに国の行政官庁として設置されていったのが国府である。
- 政所 - Wikipedia
政所は 鎌倉幕府 の統治機構のひとつ。 前身は 公文所 である。 これは幕府を開いた 源頼朝 が上記のものと同じく従三位以上の公卿に許される政所開設の権利を獲得したことにより、自らの統治機構が律令制に基づく公的性格を帯びる意義を持ったことによる。 鎌倉幕府においては、一般政務・財政を司った。 公文所から政所と改称された時期については様々な見解がある。 1191年 に公文所が政所と改称されたとされる説と、政所と改称されたのは 1185年 とする説がある(この年に頼朝が三位以上(従二位)へ昇叙したことにより政所設置の資格を得たため)。
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